我が人生、関西ジャニーズ。

 

最高で最強の関ジャニ∞

 

どうも、しがないジャニオタです。というか関西担です。関ジャニ∞ジャニーズWEST、なにわ男子、関西ジャニーズJr.

私の人生は関西で作られていると言っても過言ではない。

そんな私のオタクの扉を開き、人生を支え続けてくれているのが

そう、

関ジャニ∞

私には姉が2人いる。

次女は嵐ファン、Jフレも好きだった。姉の部屋にはKinKi Kidsのポスターが貼ってあり、私の1番古い記憶は姉の部屋のポスターの堂本光一(敬称略)を指差し、「あっこ、こっちが好き」と言ったこと。なんとなーく、ピカイチとかUSOジャパンの記憶とかもある。おばあちゃん家で親戚と見たなー、海外の映画に映った幽霊の映像とか。怖かったなー。

と、まぁ、そんな感じで私は幼い頃からJには触れていた。

 

嵐はニノが好きだった。

KAT-TUN赤西仁が好きだった。

そんな感じで、当時小学生4年生の私はなんとなーくかっこいいお兄さんが出てるからって2005→2006のジャニーズカウントダウンを見たことが全ての始まりだった。

「あ、ニノ」「あ、KAT-TUNだ」そんな感じでいつも通りかっこいいお兄さんを見ていた私。そこに飛び込んできたのが

 

安田章大さん(当時21歳)

関ジャニ∞タッキー&翼の後ろでVenusを踊っていた。姉ズがVenusのフリすらも間違える丸山隆平(当時22歳)に笑う中、私は完全に、その隣の、金髪をなびかせながら踊るお兄さんに釘付けだった。

オレンジの衣装でそんなに大きくない身長、それでも私の目には誰よりもキラキラに見えた。

その日から私は安田章大くんという人が好きになった。

 

お小遣いで∞SAKA オバちゃんROCKのCDを買った。初めて買ったCDだ。

関風ファイティングのミサンガは迷わず青を選んだ。TSUTAYAに予約をしに行った時に「特典は青にしてください」と頼んだのに店員さんに「横山くんですね」と言われたのを訂正できなかった当時小学5年生のわたし(特典はしっかり青のミサンガが届きました)

初めて買ったDVDはHeat Up

①朝起きてから

②学校に行く前

③家帰ってから

④ご飯食べたあと

⑤お風呂上がり

1日に5回は見た。(主にエイトレンジャー)(この時に桐山照史と出会うことになるがそれはまた後の話)

 

ちなみに私が1番好きな関ジャニ∞の曲は、何を隠そう

太陽の子供

話せば長くなるのでその辺はまた後日。

 

と、まぁかれこれ17年ほど関ジャニ∞のファン、いわゆるeighterをやらせてもらっている。

もちろん17年間ずっと1番だったわけではない。別グループを推していた時期もあったし、もう∞はいいかなと思った時期もあった。

 

それでも、私は今胸を張って言える。

 

私は

 

確実に関ジャニ∞に生かされている

 

と。彼らは決してエリートコースを辿るアイドルではない。どちらかといえば紆余曲折しか無いグループだ。

それでも、彼らが、どんなに挫けそうになっても、立ち上がって、

eighterのために

と輝く姿を見せてくれる。そんな私の推しは、最強で最高なんだと気付かされる。

いつだって彼らの笑いは私を救ってくれた。人が信じられなくなった時も、家族が嫌になった時も、いつだって彼らの音楽は味方だった。

 

何回ズッコケても、ズタボロになっても、がむしゃらに、前向きに、友とここにいる

それが、関ジャニ∞

18歳おめでとう。これからも一緒に歳を重ねていけますように。

世界にたった1人の私。

さぁ、初めてはてなブログとやらを書いているよ。

誰も見ていないだろうけれど

 

世界の皆さんおはようございます、こんにちは、こんばんは。

 

自分の気持ちを発信するってわくわくするんだね。

 

徒然なるままに。かな。

 

とりあえず

お尻のブルーベリーが治りますように。

ハードディスクの容量が30分しかないので

確保してきますね。

 

では。世界の皆さんごきげんよう